1975-02-28 第75回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第5号
ああいうことを二度とやるべきでないと思っておるやさきに、私、防衛を手がけているので途端に柳田国対委員長から呼び出しがあって、午後冒頭の予算委員会で、大出君、君取り上げて質問してくれと言う。私は予算委員じゃないのですけれども。山口空将補お亡くなりになって、その前に装備局長さんが一人お亡くなりになっておりますが、自殺ですが、川崎空佐の問題もあった。
ああいうことを二度とやるべきでないと思っておるやさきに、私、防衛を手がけているので途端に柳田国対委員長から呼び出しがあって、午後冒頭の予算委員会で、大出君、君取り上げて質問してくれと言う。私は予算委員じゃないのですけれども。山口空将補お亡くなりになって、その前に装備局長さんが一人お亡くなりになっておりますが、自殺ですが、川崎空佐の問題もあった。
ついに柳田国対委員長は、ほんとうに国会の権威を守り、議会制民主主義を守るの熱意から、声涙あふるるような話、要請を議長にしたのであります。 ところが、議長のわれわれに対する返事はどのようなものであったかといいますと、これは議長が言われたそのままですから、お読みいたします。
私の最も尊敬する柳田国対委員長からお伺いいたしましたところでは、小平久雄副議長は、その石井議長の態度に追随をして、何らそれに対する自分の積極的な事態収拾の意見を述べなかったと承っておるのであります。
また、これに関連をする柳田国対委員長もおいでになりますし、またその記録も代議士会等で報告になっておりますので、わが党としては、党内問題でありますが、残っておるわけであります。これらを背景にいたしまして、日経新聞の信憑性とわが党代議士会の記録、それから現においでになります橋本さんや柳田さんのことを含めて、これが全く事実無根であったとは私は考えられない。
総務副長官がその当時どの程度この問題にタッチしたかということはいろいろ問題でありましょうが、ともあれ、先ほど申し上げました永山さんとか、安井さんとか、橋本さんとかいう関係者の方はおいでであり、それからわが党でもこの問題に関係いたしました柳田国対委員長はもちろんおいででございます。したがいまして、当然この関係者の御意見を聞けば明確になってまいるわけであります。
それで、私が聞きたいのは、昭和四十一年の三月十一日に公制審にはかるべしという閣議決定をして、橋本官房長官が社会党の柳田国対委員長に正式に面会を求めて、柳田さんにはそれを話して、それが社会党の代議士会に入って、代議士会の記録に載っておる事実と、それから先ほど長々と私読み上げました日経の当時の詳細をきわめたこの新聞報道、これの事実についてあなたはこれを立案、立法するにあたり、当然重要な関連の問題でありますから
そこで私どもの党の柳田国対委員長に対しまして、四党国対委員長会談をやるにあたって、また国対の副委員長さんの段階におきましてもそこをずいぶん考えて、自民党の園田国対委員長さんにどういうふうにお話をするかという点で相談をしたのですけれども、その結果として給与の七月という国会修正、これは国家公務員、地方公務員並びにこれに関係をするその他の機関についても実施をするものであるという点を提起をして、そうだということになればそれでいい
私は当時そこに出席しておりませんわけでございますから、出席しておった成田書記長、柳田国対委員長からの説明に基づく私どもの意識統一、こういうことになる次第でございますけれども、このやりとりのさ中に、「人選にあたっては三党と話し合う」、この了解事項の前段に、三党の話し合いの内容とは一体何だという論議が行なわれているのでありますけれども、春日民社党の副書記長さんの御発言だそうでございますけれども、「三党と